手の平の記憶   (29枚) [小説]

     杏 土呂夢(あん どろむ)

 あなたは、娘を、非常に好ましく思っている。
細面の、好みのタイプの、美少女だ。
あなたは、年端も行かない少女に、魅惑され、まったく、心を奪われてしまいそうだ。
勿論、早晩、片想いの、悲しい恋に終わることだけは間違いなかろうけれど。。。

娘は、胡散臭く、白々しく、冷たく、あなたを見つめることだろう。ほとんど、蔑視、と言ってもいいくらいの眼差しだ。先生などとは、いやはや、思ってもいないし、尊敬の念など、毛頭、、、
内心、あなたをすでに、『バカ』とか『狒々じじい』とか『ド助べ』とでも、呼んでいるのかも知れない。

花粉症で、いま、娘の両眼の周りの白い肌は、一帯、ピンクに染まっている。まるで、紅(べに)を差して、桃色の薄化粧でもをしたみたいだ、とあなたは、内心、思うかも知れない。花粉症に悩む娘のそんな風な顔を、あなたは、極めて、美しいと思う。
娘は、いま、小学五年生で、非常に背が高く、もしかすれば、バレーボールのクラブにでも入っているのかもしれない。一体に、からだが見事に発達し過ぎている。まるで、おとな並みみたいだ。

きっといま、あなたが何か冗談をでも言ったのだろう。娘は笑い興じている。身をよじって笑い、椅子から滑り落ちても笑い、床の絨毯の上に尻餅をついても笑い、なおも、笑いに身を任せている。
この様子を見るや、あなたは教卓から離れ、娘の背後に近寄る。
「馬鹿だよ、この娘(こ)は」と、あなたは言う。そして、そう言いながら、娘の腋の下から、両手を突っ込み、娘の両の乳房を、思いっきし、握りしめてしまう。
あなたの手の平には、夥しい、快感が宿る。

あなたは娘のことを〈あんた〉と呼ぶ。娘は、そのことに、不満そうである。
人から、今までに、そんな風に呼ばれたことは、まだ、一度もないからだろう。
あなたは、言う。「あんた、ってのは、あなた、ってことだから、どうってことないよ、ぜんぜん」
娘は、内心、〈ミカ〉と名前で呼んでほしく思っているのかも知れない。しかし、あなたは、やはり〈あんた〉としか呼ぶことができない。あなたには、娘を〈ミカ〉と名前で呼ぶ自信がない、、、ないしは、もし〈ミカ〉などと呼んでいるうちに、どうにも、抜き差しならないような関係にならないとも限らない、と恐れているのかも知れない。そんな風な関係になれば、いざと言う時、誤魔化しが、全然、効かなくなる。。。愚かしく、傲慢にも、あなたは内心、娘を、やがては自分の好き勝手になる、慰み者、情婦、、、に仕立て上げようとでも、、、かも知れない。

このところ、家では、娘はテレビの歌番組に夢中になってるみたいだ。この点、あなたとは、対蹠的だろう。あなたは、極(ごく)まれに、スポーツの実況を見る以外には、テレビというものを、ほとんど、見ない。
娘の話題は、大部分、テレビからのものみたいだ。したがって、あなたと娘の間には、共通した話題というものが、ほとんど見当たらない。そこであなたは、もっぱら、聞き役にまわる。娘は、あなたの前で、にこやかに微笑みながら、歌を歌い、それに合わせて、踊るかもしれない。あなたはそれを見るのが、非常に、好きだ。

最近、娘は、「手に汗が出た」と言って、よく、教壇のホワイトボードの前まで、あなたに手の平を見せに来る。そんな折には、あなたは「どれどれ」と言って、まず、娘の指先をつまみ、手の平の汗でもを眺めている振りをする。しかし、そうこうするうち、最後には、あなたは指を絡め、ついには、娘の手を握りしめてしまうこととなるだろう。あなたは娘に、少しでも多く好かれたく思っている。そして、同時に、娘の体に、どこでもいいから、出来る限り頻繁に、触れたくて仕方ない。
手を握られることを厭い、娘は、二度と「手に汗が出た」を繰り返さないだろうと、ひとり想い、悲しく恐れていたのだが、驚いたことに、その後も、娘は「手に汗が出た」を頻繁に繰り返す。ほとんど、塾へ来た日は毎日のように。。。逆に最近では、娘は、手を握って欲しいときに、「手に汗が出た」を繰り返しているのではなかろうか、と勘繰られるくらいだ。

あなたの教える教科は、算数、数学、物理、化学、である。小学生なら、算数、中学生なら、数学、、、高校生なら、、、これは一概には言えない。いま通っている学校が公立か私立かで異なるし、なにより、将来の志望大学、志望学部によって大いに様変わりする。
物理の希望者が一番少ない。次いで、化学が少ない。。。数学だとて、大学を、私学の文系に進む生徒なら、とるのは、せいぜい高二までである。高三になれば、もはや、、、もし文系狙いの生徒なら、あなたの授業は、すべて、不要、となってしまう。

あなたの授業の、粗々(あらあら)のパターンはと言えば、娘に、まず、ホワイトボードで、何か新しい定理の解説をする。それから、次いで、その定理についての例題を二、三解いてみせる。ここまで来ると、あなたは娘に「さあ、解いてごらん」と言って、関連問題を、二、三題、出題し、自身、解かせにかかる。娘は、一見、真面目そうな面持ちで、解きに掛かる。すると、あなたには、待ちに待った、授業一服の時が訪れる。あなたのお目当ての、歓喜の時が始まろうとしているのだ。
あなたは教壇を降り、椅子に座って、テーブルに向かっている、娘の左脇に寄り添って立つ。一見、問題を解いている娘のノートを覗き込んででもいるように見えるのだが、実際には、ノートは何も見ているわけではない。あなたが狙っているのは、いまは、ただただ、娘の右の乳房だけだ。肩越しに、上から覗き見ると、その張りつめた魅惑的な輝きが、丸見えだ。
そうこうするうちに、あなたは、右腕を、娘の背後から伸ばし、恐る恐る、娘の右腕の下からあなたの右手を突っ込み、あなたの手の平は、やがて、娘の右の乳房に到達する。夥しい、忘れ難い快感が、あなたの手の平に宿る。七年間、週二日づつ、あなたはこうして極上の悦楽の時を過ごすのだ。こんな時、娘は、終始、冷静な面持ちで、知らぬ顔をして数学の与えられた問題を解いている振りをするし、一方、あなただとて、娘のノートのあたりに虚ろな視線を投げかけた振りをしているだけに違いない。

あなたが恐れているのは、娘に好かれなくなるということだ。娘が「もう嫌だ。塾へは行かない」とでも母親に、一言、告げたとしたら、もうそれで、万事休す、一巻の終わり、になってしまう。この種の塾での、先生と生徒の関係というものは、そういった実に儚(はかな)い関係なのだろう。勿論、月々の月謝も、一発で、とんでしまうことだろうし、目下の最大の楽しみごと(娘の乳房の感触を手の平で感じる、吟味する)もすでに無くなってしまっているに違いない。(あなたと英語の先生との関係は、どちらかと言えば、最近では、消極的関係になってしまっている。それは、定期的であり、惰性的であり、もはや、お任せ的、でもある。(上位になって、適当に、好きなようにやってもらう場合が多くなっているようだ。下手(へた)に動いて、最後に、誤って、「ミカちゃん、いいっ!」などと、娘の名を叫び、異様な雄たけびなんかをあげないようにと、常々、あなたは細心の注意を払っているのかも知れない。なぜって、無意識の行為ほど怖いものは無いように思われるからだ。。。))

危険といえば、実際には、もっと危険な立場にあるのかも知れない。母親にすべてが知れて、訴えられでもすれば、、、未成年者xx罪、xx猥褻罪、、、とか、何とか、、、要するに、そうなれば、あなたは生きて行き辛くなるだろう。そんなことが発覚すれば、英語の先生にだって、もはや、気後れがして、あなたのことだから、親しくは触れられなくなることだろう。
あなたは年齢的に言っても、もはや、危険を冒すよりは、むしろ、安楽を求める方が、よりふさわしい段階に達しているのではなかろうか、と判断される。母親などと言う者は、異常にその種の神経が発達しているに決まっているのだから、娘が何もバラさなくても、最初はヤマ勘で勘ぐり、そのうち、しっかりとした証拠を掴むに到るものだ。(ずっと以前、ひと気のない、立ち入り禁止の、お城の裏庭に入って高校生とデイトしたことがあったが、その時は、白いシャツの背に知らぬ間にお城の石垣の緑の苔が付いていたことで、最後には、とうとう、母親にバレてしまった、らしい。随分と昔のことだが(もう五十年以上も前のことだろうけれど)、、、そんなことがあったことを、いま、あなたは、思い出す。要するに、背中には、常に、用心が必要なようだ。。。西部のガン・マンならずとも、、、だ)

いつものように、定理の説明も終わり、あなたは娘の左側に寄り添う。娘はふざけて、左手を面白半分にあなたのズボンの右のポケットに、咄嗟に、乱暴に、突っ込む。そして娘は、内心、驚愕する。あなたの薄い夏ズボンの腿(もも)の辺りを見てみると、黒く小さな、濡れたシミのようなものが目に付く。
『いやはや』とあなたは思う。
「先遣隊のオモラシだ、、、いや、まったくのところ」とあなたは言っている。
「アホ」と娘が言う。
「ここまで伸びているんだな、なんと」ズボンの、濡れた、ごく小さなシミのあたりを指差して、あなたは言う。「あきれ果てたる。。。」
娘は、表面、ツン、と澄まして、見て見ぬふりをし、知らぬ顔を決め込んでいる。ノーブルで、冷ややかそうで、この上もなく美しい横顔だ、とあなたは思う。

娘は、小学二、三年の頃から、塾を経営する英語の先生について英語だけを習っていたようだが、あなたが算数の個人指導をしてみないかと英語の先生に誘われたのは、娘が、もうすぐ五年生になろうかと言う、花粉症に悩む三月のことだったと記憶する。いま中学二年生と言うことは、だから、娘に出会ってから、すでに三年余りの歳月が過ぎ去ってしまったのであろう。娘は、この間に、K市の小中高一貫の有名私学に合格し、JRに乗って、そこへ通(かよ)っているらしい。
あなたは、この間(かん)、三年余の間、ただただ、ずっと娘の右の乳房の感触を手の平に感じつつ、それを日々の喜びに、生きのびて来たようなものだ。
「右の乳房ばかりが大っきくなるみたい」ある時、娘が言っている。
「なぜ?」
娘は、黙って、あなたを見つめ、ただ、微笑んでいるだけだ。
あなたは、一瞬、とまどう。触れられ刺激されると大っきくなるから、もう乳房には、一切、触れるな、と言っているつもりなのか、(もしそうなら、自分には、もはや人生の喜びと言うものが、、、)それとも、左の乳房にも右と同じように触れてほしい、なぜなら、左右均衡を保つために、、、と言っているのか、あなたは真意を判断しかねる。
あなたは、黙って、なおも考え続ける。そして、自分は、一体に、右利きなのだから、この体勢では、娘の左の乳房に触れることは不可能だろう、と結論する。『左手は右手と比べると、手の平の感覚も随分と鈍いのだからな、、、いや、実際』

世間では有名私学と呼ばれている、娘の学校の友達から、おそらくは、仕込んで来た言葉なのだろうけれど、娘は、最近、あなたの知らない言葉を、時々、口にする。。。たとえば、ちょんちょん、とか、ちょんげ、とかである。そして、言った後は、娘は、ただ可愛く微笑んで、あなたを見つめているだけだ。
一方、あなたはと言えば、「分からない。何のことだろう」と聞いてみるのだが、教えてはくれない。どうせくだらない方言の一種くらいなものだろう、と多寡括って相手にせず、数学の授業を続けようとしていると、娘は、今度は、ちんぽ、とか、ちんげ、と言い出した。娘はあなたに、暗に、ヒントでもを出したつもりなのだろうが。。。こんな時には、セクハラで、きっと、あなたの顔は、恥ずかしくて真っ赤に火照っていることだろう。
「顔、真っ赤」と言って、娘は声に出して笑って、手をたたいて、大いに喜んでいる。
そんな折、娘が、言うには、自分は父親似で非常に毛深い。今でも、父親と一緒にお風呂に入っているからよく分かる。父親と言うのは、経理士らしい。
『普通は、娘が発毛する前に、父親と娘の混浴はすでに終わっていなければならないのではないのか』とあなたはいぶかしく思う。『世間には、いろんな人がいるもんだな。ま、経理士だから特にって訳でもあるまいが、、、いや、まったく』
あなたの脳裡には、まざまざと、艶やかに、白い肌に黒々と盛り上がった、娘の陰毛がチラ付く。

ある時、学校帰りのJRの車内で、娘は、見知らぬ男にしゃべり掛けられたらしい。JRの二人掛けの座席が向き合っている車輌でのことで、窓側に独り座っていた娘の向かいの席に、その男は後から乗り込んで来たらしい。やがて男は娘にしゃべり掛け、一万円札の束をちらつかせ、欲しかったらあげよう、と云って来たらしい。娘はそれを断り、誘われたが、男に付いて行きはしなかった。それでも、別れ際、男は娘に握手を求め、娘はそれに応じてやり、手を出して握らせてやったらしい。実にもったいないことだ、と、口には出さないが、あなたは、内心、悩ましく思う。
いつ頃のことだったか、そんな話を娘から聞かされ、胸が痛んだことがある。

送って来た母親のクルマのドアがパタンと閉まる音がすると、庭を駆け抜ける、いつもの娘の足音が聞こえ、やがて、乱暴に教室のドアを開く。はあはあ、と息をはずませ、娘の笑顔が飛び込んで来る。まるであなたに会うことを、長い間、喜びにして待ち望んでいたみたいに。授業は月木、週二回である。
娘は、大体、あなたの授業の時には、いつも、ジーンをはいて来ている。英語の先生の授業には、いつもミニスカ姿のくせに。。。それはきっと、母親の警戒心による配慮に違いない、とあなたは独り決めてかかる。しかし、一度、あなたが「パンティの色がみたい、見せて」と言った時、娘はちょっと考えてから、席を立って、簡単に見せてくれたことがある。偶然、その日は、お気に入りのパンティをはいて来ていたのかも知れない。その時、はいていたのがジーンだったとは思えないので、たまにはミニスカも、あなたの授業にも、はいて来ていたのだろうか、、、どうなのか。
ミニスカと言えば、一度だけだが、あなたから所望したこともあったように思う。もう高二になっていて、もともと脚の長い娘にはジーンはよく似合うのだが、あなたは、どうしても、尻のふくらみ具合が、一度、見たくて仕方なかった。しかし、それを口にしてみると、娘は無言で、あなたをまるで蔑んだように眺め、あなたの願望は、馬鹿にされ、全然、相手にもされなかった。あなたは、内心、すっかり失望した。ところが、次の授業日には、なんと、娘はミニスカ姿だったのだ。それは、すっかり、いまにも抱き締めたくなるほど、素敵に、美しかった。あなたは感激した。娘が席について、テーブルに隠れてもうミニスカが見えなくなってからも、あなたはテーブルの下に頭を突っ込み娘のミニスカのあたりを眺めていたものだ。
テーブルの上から、「ドアホ」と娘が叫んでいるのが聞こえる。
「ちょっとだけ、脚開いて、見せてよ、まったく」
娘は、テーブルの下のあなたの頭を足蹴にしようと、めくら滅法に片脚で蹴りまくる。そんなとき、一瞬、幻なのか、ちらっと娘の股の間が、垣間、見えたような気がした。

娘は、ある時、変なことを尋ねてきた。男は、キスしている時はいつも、ちんぽが立てっているらしい、本当か?と言うのである。
娘は、常々、よく、ちんぽ、と言う語を平気で使う。その都度、あなたは衝撃を受け、顔がほてる。それを見て、娘は大喜びする。
娘とあなたでは、その語の発音のアクセントが、全然、違うのである。だから、娘がこの語を口にするのを聞くと、非常に新鮮に、印象的に聞こえ、あなたの心に強く残る。あなたがガキのころに覚えた四国での発音は、全体の音程は低くアクセントは無しの平板である。一体に、四国の方言の発音は、間が抜けており、人を小馬鹿にしたような感じがするものだ。しかし、それは本当はそうではなくて、純朴さの表れなのだろう。一方、娘の発音は、「ちん」にアクセントがあり、全体の音程も高い。
立ってるか、立っていないか、、、娘の質問には、答えられなかった。それは、時によりけり、相手によりけり、なのだろうとは思ったが、あなたは「まあ、なあ、ほんと」とか何とか言って、誤魔化しておいた。

ある時、いつものように、娘が威勢よく教室に飛び込んできた。席に着くや否や、にこにこ笑いながら盛んに、興奮気味に、おまんこ、おまんこ、を連発している。聞くところによると、どうも、朝方、登校途中、K市のJRのホームで、男子校の二、三の生徒が笑いながら大声で喚いていたのを、友達と一緒に、たまたま、耳にしたらしい。あなたは、入って来るや否やの娘の突然のセクハラに、面食らってしまい、どう反応したらいいものやら、一瞬、不意を突かれ、戸惑った。
ガキの頃は、田舎生活だから、この種の言葉をしょっちゅう耳にして育った。それは、おもに、同期のガキ共からだったが、近所の、農耕具の大工さんからも、いろいろ聞かされた。大工さんが、牛に曳かせる木製の鋤(すき)を作っているところを見るのが好きだったので、あなたはその店先に、よく、立ち止まるのだった。そんなあなたをつかまえて、大工さんは遊郭の話をするのだった。あまりにxxxxし過ぎると毛がちびるんだ。だから、xxxxしすぎる者は、最後には毛が無くなってしまい、ツルツルになってしまう。何も知らないガキを捕まえて、大工さんは仕事をしながらも、口から出まかせを言って、それなりに、愉しんでいたのだろう。
また、近所の骨董屋の店先に人だかりがしている。何事かと立ち寄ってみると、おとな達は盛んに、xxxxとか、xxxxの毛を連発している。人垣を割り込んで真ん中まで行って見てみると、話題の中心は、一つの杯の絵柄みたいだ。杯の外側に、着物を肌け、大股を開いて横たわる、細面の浮世絵美人が描かれている。白い肌に、xxxxの周囲の土手の両側から生えはじめ、上部へ行くに従って、密に濃く広々と盛り上がり、最後はまた、すぼまって、臍の下まで伸び、達している。実に豪快なxxxxの毛だ。色彩は浮世絵独自の艶(あで)やかさで、遊女の肌はあくまでも白く、xxxxの毛は艶(つや)やかに黒い。陶器ゆえに、すべてが光り、輝いている。
しかしなぜか、ガキの頃、あなた自身は、自分からは一度もその語を口にしたことがないし、心の中でも、言ったためしがないように思われる。なぜなのか、理由は自分にも分からない。
またある時、小学校の引け際、あなたは男の友達と二人連れ立って、運動場のはずれまで来ていた。そしてそこで、親しい同級の女の子に出会った。すると友達が大声で小原節を歌いだした。あなたが何事かと思っていると、その友達は、背が非常に高く細身細面のその美しい医者の娘に、小原節にある「見えた見えたよ、松原(まつうばあら)越しに、丸に十の字に(の)、おはらはあ、穂(帆)が見えた」の意味は何かと、盛んに、囃し立てるように、歌いながら、聞き質し始めた。音楽の授業で、ちょうどその頃、小原節の練習をしていたのだ。娘は、真剣に、考え込んでいたが分からず、詰問する男の雰囲気から判断したのだろうか、最後にとうとう「xxxx」と言ってしまった。当時、学校のあちこちに、舟形に一本縦棒を入れ、その縦棒の中心に丸を入れ、舟形の周囲には温泉マークの湯気みたいなゆらゆらを付けたxxxxの落書きが、そこら中にあったのだ。それを、きっと、医者の娘は直感、連想したのかも知れない。
美しい娘がこの語を口にすると、聞くものの心に、なんとも、どぎつく応(こた)えるものだ。勿論、丸に十の字、はxxxxなどではなくて、殿様島津家のご紋なのだけれど。。。
あなたの義祖父などは、日常平気で、この語を使っていた。祖父母、父母、兄弟、六人が畳の間に座って、朝の食卓を囲んでいた時、祖母が股の着物の上にご飯をこぼした。すると祖父は「xxxxの上、落っとるぞ」と平気で言っていた。
あなたの心には、きっと、邪念が潜んでいるに違いない。だから、この語を耳にすると、いくら年を喰っても、顔を赤く染めるのだ。
あなたは、ごく親しい恋人の間では、この言葉の使用は、正解だと思っている。この語をお互い平気で使えない恋人関係がもしあるとすれば、それはまだまだ道半ば、掘り下げの足りない、蕩ける様な満足な恋人関係とは言えないだろう、とあなたは信じている。この語ほど、恋人たちを無我の境に誘ってくれ、全き、純粋な肉の喜びを味あわせてくれる語は、この語を措(お)いては他には無いだろう、としみじみ、あなたは考える。
結局、娘には、ぼぼ、とか、北陸出身の英語の先生が教えてくれた、おめこ、とか、おそそ、とか、同意語を並べ置くことで、誤魔化し、やっとのことで、数学の授業へと逃げのびた。

娘が高二の春のことだったのだろう。修学旅行に行って来た、と言って、おみやげを三つ持って来てくれた。普通はおみやげは一つが相場なのである。会津なら赤べこ、とか、長崎ならビードロとか、、、女の子の場合、普通、ちっちゃな、飾り物などが多い。
二週間も会っていなかったので、あなたは娘への恋しさが募っていた。娘も、はしゃぎ具合からして、同様だったように思われる。
その内、娘は、脚で突っ張って椅子の背を後ろに傾け、背後の窓の敷居に頭をもたせ掛け、頭と椅子の後脚だけで不安定に身を支え、丁度、仰向けに寝ているような格好を保った。
「ひっくり返ったら、首の骨ヘシ折って、死んでしまうぞ、、、まったく」
しかし娘はあなたの真下で身を横たえて、あなたを待つように、あなたの口づけを待つように、ただ、あなたを見つめているだけだった。あなたは不安定な、半ば宙に横たわった、娘のからだを抱き取り、キスしてやるべきだ、と強く感じた。いまは、人生の中でも滅多に訪れない、運命の決まる刹那なのだ、と、はっきりと、ひしひしと、意識された。しかし、あなたは何もしなかった。もしそうなったら、もはや娘とは抜き差しならない関係にならざるを得ないだろう、と思えた。自分がもう五十年若かったなら、なんとか責任も取れるだろうが、とあなたは思う。この年で、もし、やってしまえば、後で、世間というものは、あなたに犯罪を宣告することだろう。そうなれば、人生の最後に来て、あなたは罠にかかったも同然だ。
娘は、この時、おそらくは娘なりの賭けに出て来たのだろう。あなたの度胸を試していたのだ。七年間の決着を付けようとしていたのだ。それは、素直な恋の姿と言うものだろう、とあなたは思う。
あなたの若い頃の体験では、一体に、女が仰向けに横たわる時というのは、無意識にしろ、誘惑を夢見て待っている刹那なのだ。。。狭いスナイプ級ヨットの底板の上で、黙って空を眺めていた女がいたし、、、万年床の掛け布団の上に横たわってレコードを聴いていた娘がいた。仰向けに横たわる女、、、それは、恋が始まる刹那なのだ。あなたと娘との儚い恋は、この時点で終りを告げてしまった。
いよいよ娘の最後の授業の日「結婚式には呼んであげる」と娘が微笑みながら云っていた。
「悲しくて、そんなところへ出て行くことは、できないだろう」とあなたは言う。「その時は、うちで独りで泣いておくよ」
「右の乳房のことだけは、誰にもしゃべらず、、、一生、想い出にしておくわね」
最後の授業日には、(それは、よく晴れた、春休みの午前中のことだったのだが)娘はすね丈(七分丈)の裾がダブルになった、ブルーのデニムのサブリナパンツをはいて、自転車にのって来ていた。あなたはその凛々しい姿を、いまも娘の最後の面影として覚えている。
風の便りに聞くところによると、娘は卒業した大学の高校部の、英語の先生になっているらしい。

もうその最後の日から十数年経ったのだろうが、あなたの手の平には、いまなお、時として、娘の乳房の感触が、まざまざと甦る。充たされることのなかった恋というものは、死ぬまでその記憶のうちに、鮮烈に思い起こされ続けるものなのだろうか、どうなのか。。。














































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